2006/12/10

ビョークは4度変容する
-Bjork: Debut,Post,Homogenic,Vespertine Live-

DebutLivePostLiveHomogenicLiveVespertineLive
すべては1枚の写真が示す。
『Debut Live』は宇宙人であり、
『Post Live』は人間であり、
『Homogenic Live』は悪魔であり、
『Vespertine Live』は怪物、あるいはパラダイスである。


変容するビョーク。『Debut Live』では宇宙人として現れ、「One Day」のタブラとガムランの音色が織り成す、甘美なコスモスの中をゆったりと浮遊する。さまざまな引力が影響しあう不安定な空間の中で、歌唱の、抜群の安定感を保つ持続力だけが、なめらかな軌道を描くことを可能にする。
そしてついには「歌」、そのものの強度が、われわれを巻き込みはじめるとき、彗星の尾となってビョークの軌跡に触れている、自分自身を発見するだろう。

変容するビョーク。『Post Live』を聴き、われわれはあるフレーズで高揚し、ある歌いまわしで、泣く。人間ビョークは、その属性にふさわしくわれわれの感情に訴えかけるのだ。しかしそれは、感情をこめて歌う、とかそういうことではない。
ビョークにとって、「感情をこめて」とかいう表現とは初めから縁がない。
感情をこめるまでもなく、感情しかない。
したがって、メロディのセンチメンタリズムで泣くのではなく、歌いまわしの厳密さの、その厳密さにまで到達せざるを得なかった存在の、その存在の厳密さが、特定の歌いまわしを表現させ、この、これしかありえない表現が、存在の説得力として、われわれの胸を打つのだ。
「Big Time Sensuality」での人間ビョークは、ついに速さと遅さの相反する要素を共存させるに至る。

変容し、移行するビョーク。『Homogenic Live』で悪魔は地に降り立つ。
もうすでに、すべてを従えてしまっている。
この悪魔のヴォイスの前では、強暴なインダストリアル・ドラムマシーン・ビートが人間的なあたたかさを持つようになり、流麗なストリングス・セクションが有機的な輝きを失い、無慈悲に空間を貫く。かわりに、いままで存在の確認されたことのない、無機的な有機体がこれみよがしに宙を輪舞する。と、その合間あいまに、悪魔が天使に移ろいゆく様子を窺い知れもするだろう。どちらにしろ、全体が、ひとりの超越的な存在の一部としてコントロールされてしまう様はすさまじい。


二重に変容するビョーク。『Vespertine Live』では静寂がおとずれたかのようにみえる。
だが、そこで安堵してビョークの世界に浸りきることができるか?
できるかもしれない。少女であれば。あなたにもひとりになった時、自分の世界だけで夢想する幸福な時間があるはずだ。その自分だけの世界を他人に話すことがあるか?
そこは、自分だけの自分にしかない自分のためのパラダイスである。
他人にも楽園として写るかはわからない。よく周りを見廻してみなさい。
少女に化けた怪物が、あなたを誘って呑み込もうとしているだろう?
もはやこの世界に身を投じることができるかどうかは、人それぞれの問題でしかない。


「『Post Live』と『Homogenic Live』は曲がかぶっていたり、全体の展開が似ていますが、どちらの方がいいですか?」
「悪魔にしなさい」





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