怒るべきではないのか。トルシエサッカーよりもつまらないのならば。
サッカーファンであるならば。
監督就任時に表明した、ファンタジーあふれるサッカーはどうしたのか。
理想としていたサッカーはあたまの中にしかなかったのか。
監督が頼りにならないならば、残るは選手たちだけがガンバルしかないではないか。
まったくジーコはどこに消えてしまったのか。
すくなくともトルシエのときは、決定力が他の要素に対してあきらかに劣っているということがわかっていた。
しかし今は、最後にちょこんと入るゴールによる、苦しんだがなんとか負けはしなかったぞという爽快感のない、気味の悪いカタルシスが(それでも一応カタルシスなので)、決定力不足のみならずすべてを忘れさせている。
ジーコの戦術って、選手達に、ほんとうに自由にさせているだけなのではあるまいな?
ジーコも選手時代マスメディアなど相手に苦労したのだと思う。それで選手の気持ちとかを理解できて打ち解けるのも早いのだろうけど、それだけだ。
選手にとってはトルシエの時より居心地がいいだけなのではないだろうか?
ジーコはもう3試合以上は運で勝っている。
このまま行くと本番では、われわれはジーコのサッカーで勝つのではなくジーコの運で勝つだろう。
ジーコの場合、最後に気味の悪いシュートがちょこんと入っちゃうぞ。
2005/03/31
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