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2005/03/20

マイケル・ジョーダンのテリトリー

テリトリー。それは、自由に行動できる場所。
マイケル・ジョーダンにとっては、それはabove the ground 空中であった。

狭く、ひしめきあっているコートで、史上唯一自由になれた男。
マイケル・ジョーダン。空中で行動することによって自由になった男。

バスケットボール。テリトリーの攻防、体と体のぶつかりあい。
華麗とは言いがたい、本来無骨なバスケットボールにおいて、ただひとり美しくプレーした男。マイケル・ジョーダン。
空中に自由を得ることによって。

そして、正確無比に決めつづけるシュートをもってして、失敗しないことの錯乱を知らしめた男。
決めつづけるシュート。それは、観ている側にとって、狂気の一歩手前、足元がガラガラと崩れて不安定になっているような感覚。
また決めた!まだ失敗しないの!?また決める。
次第にこれはどうなっているんだ?と思いはじめる。
それほどまでに、失敗しないこと、成功しつづけることは、現実的なことではなく、人間的な感覚を裏切るのである。

神。



ジダンのドリブル、フィーゴのドリブル、あらゆるスーンバラシィーぷれー

新しい姿勢の連鎖が新しいスタイルを創り出すという。

さらに言えば、ジダンのプレースタイルの元にはあの驚異的な懐の深さがある。フィーゴには腰の粘り強さだろうか。末続慎吾には彼自身の走りが、イチローには彼自身のバッティングスタイルがある。
すべて自分の身体の特徴と対象との関係から、自分だけのスタイルが産み出される。

ただ、その人のスタイルはその人にしかできないことなのだから、セナのドライビング、ジョーダンのプレー、グラフのバックハンド・スライス、こういったものはもう2度とリアルタイムで味わうことはできない。
もちろん現在では現在の新しい魅力が存在しているのだが、それでもこれらのスタイルを永遠に堪能できたらと思う。

こんなことを思ってしまうのは、現役時代のプレーを生で観たかったのに観ることができなかった、だからつい思ってしまうのかもしれない。